AAR

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ベオグラード(City of Belgrade Home Pageより)

はじめに

「ようやく空が白んできました。すでに秋も半ばにさしかかったその朝の冷え込みは厳しく、急激に下がった気温と川の水温との落差のために、川面からは乳白色の靄が立ち上がっていたのです。白い靄に包まれた都市は、折から差し込んできた陽の光を受けてキラキラと輝いていました。その美しさに、歴戦の猛者たちも、しばし息を呑んで見惚れたと伝えられています。あまりの美しさに、トルコの将兵は戦意を喪失し、その日の襲撃は中止になった、と。こうして、この都市は、『白い都』と呼ばれるようになったのです」 (米原万里著「白い都のヤスミンカ」『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』所収、角川書店、p.191)。

上述の文章は、14世紀にセルビアなどのバルカン連合軍がオスマン・トルコ軍に敗れた頃を描写したものだそうだ。その後、セルビアの地は長くオスマン帝国の支配下に置かれることになる。  


 セルビアでのプレイを選んだ理由は3つある。

  • 1.今年(2006年)6月に、モンテネグロの分離独立によって、ユーゴスラビアがいわゆる完全解体したこと。
    • 自主管理労組や非同盟路線等、社会主義陣営の中でも独自の個性を持ち、一時期は他民族共生の成功例でもあったユーゴの解体は、実に感慨深いものがある。
  • 2.今年5月に上述の著者、米原万里氏が死去したことである。
    • 1960年代のプラハ・ソビエト学校でのエピソードと冷戦末期の激動の東欧をモチーフにした上述の著書は、とてつもなく重厚な現実を、実に軽やかな文体で描いており、読み出すと止まらないほど面白かった。このプレイはまさに米原氏の著書によって触発されたものだ。
  • 3.セルビア人には他の東欧の民族と比べ対西欧コンプレックスがほとんど感じられないという、上述の著書での記述に惹かれたため(p.245)。
    • 「ここはもうヨーロッパではありません。バルカンです」(p.241)というセルビア人の言葉が強く印象に残った。

このAARは、セルボ・クロアート語で「白い都」を意味するベオグラードに都を置く、セルビアの仮想近代史の記録である。

環境

日本語版ver1.041、難易度普通、攻撃性普通、シナリオGC1836年

目標

まずは生き残ること。できれば、トルコやオーストリア領内のセルビア人の居住するプロヴィンスを1つでも多く獲得し、彼らを祖国に帰属させること。ささやかな目標である。

その他

ver1.04でプレイするのはこれが初めてです。また、このプレイにあたっては、同じ東欧の国のポーランド人のポーランド人によるポーランド人以下略双頭の鷲に刺激を受けると共に、勇気付けられました。それらAAR作者の方々に御礼申し上げます。

近代国家への道:1836-59

 1836年初頭のセルビアは、君主制、人口803,000人、識字率10%、陸軍1個師団保有、プロヴィンス数は3、オスマン・トルコ帝国の衛星国であり、しかも内陸国である。宗主国のトルコと防衛条約を結んでおり(しかし友好度は−80)、ロシアとの友好度は100、オーストリアとの友好度は−100である。早くトルコから独立したいところだがわが国にはまだ独立戦争をする国力もない。また独立したとしてもオーストリア、トルコ両大国に挟まれてしかもプロヴィンスが3つしかない現状では、攻められでもしたら即滅亡だ。当面の間、安全保障はトルコに任せて、独立に向けての国力増強に努めよう。

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バルカン半島中央の赤い部分がセルビアである

 国力増強に努めるわが国の当面の目標は、以下のとおりである。

  • 1.聖職者の数を増やし技術研究を充実させる。
    • 経済発展のためにも集中的な技術研究が必要だ。
    • 将来的には、この技術をもとに領土を獲得したい。
  • 2.技術研究では工業と商業を優先させる。
    • まずは収益を増やしたい。
  • 3.収益増加のため、早く鉄道を引くこと。
  • 4.自由主義革命が起こるまでに立憲君主制へ移行すること
    • 反乱で貴重な自国民を減らすわけには行かない。
    • ていうか、今のわが国は反乱に耐えられない。

 言い換えると、わが国は技術立国を目指すのだ。
 多分地味なAARになるだろうが、それはそれで構わない。セルビア人がセルビア人として生き残るために、近代国家への改革をすすめるのだ!

初期設定

 貿易では機械部品10購入に設定。技術では鉄道技術欲しさに「実用蒸気機関」を研究開始。
 税金は下流階級49.22/中流49.22/上流100で設定。何かとうるさい貴族には没落してもらおう。教育費と社会保障費はMAXに設定。といっても社会保障はまだ何もしていないのでMAXといっても費用は0だ。治安維持、防衛予算、陸海軍維持費は最低に設定。関税はMAXに設定した。
 時計の針を回す。収入は1日に1ポンド前後だ。今はちびちびと貯めていこう。研究ポイントは月0.47ポイント増加するが、外交ポイントは衛星国のため月0.5ポイントしか増加しない。それでもわが国の未来を担う人口は月1000人ずつ増加している。

聖職者を増やせ:1830年代

 1837年1月、わが国に「クラウゼヴィッツ理論」が発生した。幸先が良い。
 気がつけば貴族が完全没落しており、反動主義の農民が400人ほど居た。元貴族たちはさぞかし無念であったろう。近代国家の礎となって欲しい。
 38年1月に「暗殺」が発生! 国威がマイナスになってしまった! 改革には痛みが伴うものなのだろう。それにしても痛すぎる。当分外交取引が出来なくなった。
 38年2月には第2回オリエント危機でトルコがエジプトに宣戦布告した。同年7月にはなぜかイタリア半島のルッカがわが国に軍事同盟を申し出てきたが、わが国は申し出を辞退した。
 39年7月、ようやく資金も貯まったので、ベオグラードの58000人の農民POPを聖職者に転職させた。国家収入はそれほど変わらず、研究ポイントの毎月の増加の程度は0.84に増えた。これでわが国の人口構成は、農民3割、鉱山労働者3割、聖職者3割となり、集中的な技術研究体制がひとまずできたといえるだろう。これだけ聖職者を揃えたのだから願わくば神のご加護を・・・。

立憲君主制への移行:1840年代

 聖職者を増やしたこともあり、研究開発は大体年に1つのペースで進むようになった。発明も相次ぎ、農地や鉱山での作業効率が上昇した。43年7月にはついに識字率が20%になった! 良い調子だ。
 一方、ヨーロッパでは自由主義革命の予兆が見られた。44年6月にはドイツ諸国で「ギリシャ憲法」が発生した。わが国のPOPを見ると、将校と聖職者の政治意識が高まっている・・・。反乱でも起こされたら今までの努力が水の泡だ。そろそろわが国も立憲君主制へ移行すべきだろう。
 44年10月、地主のみ(将校、聖職者)に選挙権を与え、わが国初の選挙が始まった。44年11月1日、ついにわが国は立憲君主制になった。これで、同じ立憲君主制のトルコとの友好度が上がり(−97→3へ)、君主制の国との友好度が減った(ロシア:85→35、オーストリア:−97→−147)。わが国の国威はまだマイナスなので、これといった外交も出来ないが、大国との関係には常に細心の注意が必要だろう。
 45年1月、セルビアに扇動的社会主義者現る。とうとうバルカン半島にも左翼が来たのだ。これが近代国家というものなのだ。それにしても連中はうっとうしい。同年7月、第1回選挙は絶対主義派が勝利した。
 45年11月20日にヨーロッパで自由主義革命が勃発した。思ったよりも早かったなあ。
 その後のわが国ではうれしいニュースが続いた。46年7月ついに「実験的鉄道」研究が完了し、鉄道敷設できるようになった。同年8月には人口が90万人になった。貴重な国民が10年で約10万人も増えたのだ。同年10月には「コークス」が発生し炭鉱の作業効率が大幅上昇した。おかげで1日の収入が1ポンド台から2ポンド台に増えた。何てささやかな喜びに満ちたプレイだろうか! こんな喜びは列強国プレイでは味わえないだろう。今の私には陽の光や、川のせせらぎ、鳥の声、そのすべてが愛おしい。  

そのとき世界は:1840年代

 しかし、そのささやかな喜びの一方で、バルカン半島周辺の世界は戦争へと急展開していた。41年2月にはトルコとエジプトとの戦争が終結し、トルコはシリア、ヨルダン、パレスチナの大部分を獲得した。
 41年9月にはロシアからわが国への軍事同盟の申し出があった。ロシアとの友好度を上げるには良いチャンスではあったが、もしロシアがトルコかオーストリアに宣戦した場合、プロヴィンス3つしかないわが国はたちまち全土占領されて即死だ。したがって辞退した。
 トルコは快進撃を続けた。トルコは42年7月にトリポリに宣戦し、43年12月にはこれを併合、続いて44年8月にヒジャーズに宣戦した。オスマンの強大化は、その衛星国であるわが国の安全保障にとって短期的には良いことであるが、将来的に独立するにあたっては望ましくないことであるため、わが国にとっては複雑な感情をもたらすものであった。わが国としては同じ正教徒の国ロシアと技術取引することでロシアを支援し、トルコを牽制したい。しかし今のところわが国の国威はマイナスであるため技術取引ができないし、ロシアとの友好度も(わが国が立憲君主制に移行したために)30程度しかない。国威を早くプラスに戻すために文化系技術の開発が急がれるだろう。
 47年1月にはシュレスヴィヒ問題でオーストリアがデンマークに宣戦、翌月にはプロイセン、ハノーファー、メクレンブルクがデンマークとホルシュタインに宣戦した。
 そして47年3月、ロシア皇帝はトルコに対し宣戦布告した。
 オスマンの衛星国のヴァラキアとモルダヴィア、そしてオスマンに独立保障していたイギリスとフランスがオスマン側に立って参戦した。オスマン帝国はわが国に対し軍事同盟の遵守を求めてきた。

第1次ロシア=トルコ戦争とセルビア

 早すぎたクリミア戦争! もしここでトルコの参戦要請を断ればトルコとの同盟関係がなくなる。そうなるとわが国はトルコの後ろ盾を失い、オーストリアに攻められでもしたら独立が危うくなる。ロシア=トルコ国境からベオグラードは決して近くない。ここはやむなくトルコ側で参戦し、早期に単独講和を成立させよう。
 防衛予算を最大にする。1日の財政収支が0になる。反乱がおきないことを祈る。
 1847年3月、炭鉱のあるグラグエヴァツに実験的鉄道が完成する。戦時中ではあるが、バルカン半島初の鉄道完成を国民は喜んだ。工業力が24から一気に91になる。総合順位も57位から15位になる。鉄道の効果はすごい。
 47年6月にはプロイセンとデンマークの戦争がプロイセン勝利で終結し、翌7月にはオーストリアとデンマークの現状維持の和平案が成立した。
 ロシア=トルコ戦争に話を戻そう。英仏両軍がクリミア半島で戦う一方で、ロシア軍はじわじわとバルカン半島へ侵攻していった。47年11月にロシア軍はモルダヴィアを併合し、48年6月にはヴァラキアの首都ブカレストを制圧した。ロシア軍はすぐそこまで迫っている。この調子で行くと、ロシアはヴァラキアを併合した後、我がセルビアを併合するつもりかもしれない。

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迫り来るロシア軍。1週間毎に断られ続ける我が国の寛大なる和平交渉。

 48年8月、2ヶ月にわたる粘り強い交渉の末ついにロシアとの単独和平が、現状維持で成立。ちなみに、このときロシアの“戦争による消耗”は10%だった。ある程度英仏連合軍がロシア軍を消耗させたおかげで、何とかロシアも単独和平を受け入れる気になったのだろう。良かった。これでロシアに併合される危機を免れた。
(このAARでの)初の戦争は、一度も戦うことなく、何も失わず終わることが出来た。防衛予算、陸軍維持費を最低に戻す。
 49年1月。「首都で外交会議」が発生。国威+10がうれしい。今こそ世界に平和を! ・・・といっても何も出来ないけどね。

汎スラブ主義のきざし:1850年代前半

 51年1月に「自由主義革命の終わり」が発生した。我が国では反乱もなく、無事に過ぎてよかった。同年4月、トルコで「ロシアがバルカン半島でナショナリズムを扇動」が発生。こういった形でもスラブ民族の戦いが焚きつけられるのだ。今後バルカン半島では何かとこのような急進性アップのイベントが起きて、やがては反乱祭りになるのだろう。多くのバルカンの民族がトルコ兵に鎮圧されるのだろう。他国でプレイして、このバルカンの地域を獲得するたびに、凶悪なほどの急進性を持った小粒POPを見てはガッカリする。
せめてセルビア人の住むプロヴィンスだけは、早くセルビアが獲得し保護しなければ。しかしどうやって?
 51年11月、識字率が30%に達する。
 52年2月、ロシアがヴァラキアを併合し、ついに我が国はロシアと国境を接することになった。ロシア軍はクリミア半島から英仏両軍を叩き落し、反撃を続けていた。
 52年12月、フランスから軍事同盟の申し出。かの国の交戦中の国はロシア。もちろん辞退する。
 同年同月、クラグエヴァツで初期の鉄道が完成し、工業力が98から一気に164になる。 53年1月、「寡占体制」が発生。まあ独占体制よりはマシだろう。
 1853年はフランスからの軍事同盟の誘いが5度も来た。戦争に巻き込まれたくないのですべて辞退した。フランスAIは普段はこちらを見向きもしないくせに大抵戦時中にやたら軍事同盟を提案してくる。
 1853年12月、第1次ロシア=トルコ戦争終結。ロシアが小アジアの1プロヴィンスを獲得。戦争終結と同時にロシアがルーマニアを衛星国として独立させる。嗚呼おそ露西亜! 同じスラブ民族であるせいか、ロシアがたまに関係改善の使者を送ってきてくれる。将来我が国がトルコに独立戦争を挑むためには、地理的にロシアとの同盟が不可欠だろう。もちろん今はまだ戦争する国力はない。とりあえずロシアとの関係を地道に改善していこう。

普通選挙制の導入:1850年代後半

 トルコが度々関係改善の使者を送ってくる。良いことだ。将来は技術を売ってトルコ領内のセルビア人居住プロヴィンスを獲得し、国力を増強しなければならないからだ。ロシアともトルコとも友好関係を維持しておきたい。
 55年11月、ルーマニアとロシアが軍事同盟(攻守同盟)を締結し、いつのまにかルーマニアが衛星国から独立国になっていた。AIイベントなのだろうか。
 56年7月、急進性の増加の程度がプラスになっているPOPが居たので、思い切って普通選挙制を導入する。国民よ、不満があるなら投票したまえ。
 56年10月、人口がついに100万人に達する。
 57年2月、このゲーム上では同じセルビア人の国であるモンテネグロが財政破綻する。これで、かの国を併合するために宣戦布告しても国威の減少が−1で済む。当然、今はまだそんな勝手なことは出来ないが。
 59年1月、「威信の急落」が発生。サルディニアがイタリア諸国を次々と併合。フランスがサルディニアの側に立ち両シチリアとオーストリアに宣戦。ここで心配なのはトルコが、ここでオーストリアとの戦争を避けるためか、フランスとの軍事同盟を破棄したことだ。愚かなるAIトルコ。ロシアが今のところトルコを攻めないのはフランスの同盟の後ろ盾があってのことなのに。ああこれでロシアがトルコに宣戦するのも時間の問題だろう。

 不安は的中し、ついに1859年1月21日、運命の「クリミア戦争」イベントが発生した。 史実どおりにイギリス・フランス・サルディニアがトルコ側に立って参戦。一方ルーマニアがロシア側に立って参戦した。再びトルコが、我が国に軍事同盟の尊重を求めてきた。

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クリミア戦争勃発

次回、クリミア戦争とセルビア独立へすすむ

目次

近代国家への道:1836-59
クリミア戦争とセルビア独立:1859-64
セルビアの発展と民族紛争:1864-83
セルビアの海外進出:1883-1900
祖国統一とユーゴスラビア主義:1901-09
セルビア王国かく戦えり:1909-12
バルカンへようこそ:1913-21

コメント

このプレイに関するご意見・ご感想などどうぞ。

  • 期待age -- 悟る通りすがり 2006-08-08 (火) 00:18:43
  • 今さらアレだが、無理してトルコに義理立てしなくても、露土戦争傍観&トルコの消耗20%くらいで独立戦争→二つ三つ占領で比較的早く独立できたかも -- 名無し 2006-08-09 (水) 19:43:43
  • 確かに、あまりにも外交的孤立に対し慎重になりすぎたのかなと思います。思い切って勝負に出てもっと早く独立戦争を仕掛けたら、その後の展開も違ったものになってたでしょう。 -- 作者 2006-08-10 (木) 03:21:22
  • 完走お疲れ様です。とても面白く、為になるAARでした。次回作を期待しております。 -- 名無し 2006-08-13 (日) 10:46:42
  • お疲れ様です。面白いAARを最後までありがとう。 -- 2006-08-13 (日) 12:48:02
  • 完走お疲れ様です。最後の「ようこそバルカンへ〜」が強く印象に残りました。 -- 2006-08-13 (日) 16:56:39
  • お疲れさまです。イタリアが暴走しなければスロヴェニア獲得できたのに残念でしたね。 -- 2006-08-13 (日) 18:21:40
  • 乙です。上手に書けていて読み応えがありました。またお暇なときに是非とも筆を持ってください -- 2006-08-13 (日) 21:32:25
  • 面白かった! -- 2006-08-14 (月) 09:40:37
  • 丁寧な文章で大変読みやすかったです -- 2006-08-15 (火) 03:19:50
  • おもろかーたよ〜。 -- 名無し 2006-08-16 (水) 22:19:35
  • 面白かった! -- 2012-05-27 (日) 09:13:10
  • 面白かったです! -- 2013-12-22 (日) 12:18:26


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Last-modified: 2020-04-01 (水) 18:24:57