Victoria時代の史実の概略です。とくにVictoriaで起こる各種の史実イベントについて、その詳細。なるべく、Vicプレイヤーにわかりやすく。

自由主義革命の概略

フランス革命〜ナポレオン体制に始まる、自由主義と民族主義による革命の流れ。 最終的にはナポレオン後を既定した、ヨーロッパをフランス革命以前の状態に固定するウィーン体制を突き崩した。

特にその崩壊を決定づけた1848年2月のフランス2月革命とそれに続きヨーロッパ各地に伝播した3月革命を総称して「諸国民の春」ともいう。

Vicrotiaでは単に"自由主義革命"であるが、実際には強烈な民族主義とない交ぜになったもので、ヨーロッパ中に叛乱が発生するのはこれを再現したもの。

1815年

  • ナポレオン戦争が終結し、ウィーン体制(諸国がフランス革命以前の君主制に無理やり戻した)へ。

1830年革命

  • 1830/7/28 フランスでブルジョワが中心となった自由主義革命(7月革命)発生。
    • → フランス、ルイ・フィリップが即位。「立憲君主制・富裕層のみ選挙権・自由主義」
  • 1831/8月 ベルギー独立戦争勃発
    • → 1839年ロンドン条約で独立承認
  • 1831/11月 ワルシャワ蜂起(ポーランド独立運動)
    • → 翌年に鎮圧
  • ドイツで「統一と自由」を求める運動 (e.g. 1832/5/27 ハンバッハ祭)

1848年革命

  • 1848/2/22 パリで労働者が中心となった社会主義的(2月革命)な革命発生。
    • → ルイ・フィリップ失脚。フランス「民主制・普通選挙」に。
    • → しかし、選挙は民主派ではなくて、農村の支持を得た王党派が勝利
    • → 王党派の勝利に失望した労働者が、パリで6月蜂起。
    • → 混乱の中ルイ・ナポレオン登場。大統領選で勝利。
    • → フランス「民主制(大統領独裁制?)・普通選挙・保守主義」に。
  • フランスの革命がドイツ諸邦に自由主義革命として伝染
    • →バーデン、ヴュルテンブルグ、バイエルン、ヘッセン・ダルムシュタット、ナッサウ、ザクセン、ハノーファーが、次々に「立憲君主制・普通選挙・自由主義」に。
  • プロシアでもライラント・ベルリン等で民衆蜂起が発生。
    • プロシア「立憲君主制・普通選挙・自由主義」に。
  • ドイツ統一に向けた全国規模の運動発生(1848/5/18 フランクフルト国民議会発足)
    • 民主制によるオーストリアを含めた大ドイツ主義による統一を目指す
  • ウィーンで三月革命
    • →メッテルニヒ辞任。ウィーン体制崩壊。
    • →オーストリア「立憲君主制・普通選挙・自由主義」に。
    • →ハンガリーに自治を認める
  • イタリア各地で反乱(第一次独立戦争)
    • シチリア(対両シチリア王国・フランス・スペイン)、ベネチア・ミラノ(対オーストリア)、教皇領、トスカーナ等で革命・民衆蜂起。
    • →すべて鎮圧される。
  • 1848/4/10 イギリスでチャーチスト運動(普通選挙を目指す労働者運動)、第三次請願。
    • →警官によるデモ行進の妨害、請願書自体の不備などから、請願書の提出を断念。
    • この運動を1848年革命の一部と考えるは少し無理があるかもしれない。当時、イギリスは大陸諸国に比べて圧倒的な経済力をもっており、また大陸で長引く不況に対してイギリスは鉄道ブームによって景気が回復してきていた。

1848年後半 ドイツ各地で反革命(君主側の反撃)

  • オーストリアで反革命
    • フランツ・ヨーゼフが即位し、保守的な欽定憲法制定。オーストリアは「立憲君主制・普通選挙・保守主義」に。
    • オーストリア、「オーストリア・ハンガリーの不可分」を主張し、大ドイツ主義による統一を拒否。
  • プロシアで君主権を大幅に強めた欽定憲法制定。「立憲君主制・普通選挙・保守主義」
  • フランクフルト国民議会(人民政府によるドイツ統一)の動き。
    • オーストリアの大ドイツ主義統一拒否を受けて、国民議会はオーストリアを含まない小ドイツ主義による統一に軌道修正
    • 1849/3/49 「フランクフルト国民議会の提案」。提案内容は、
      • プロシア中心の小ドイツ主義による統一。
      • プロシア王を君主とする「立憲君主制・自由主義・連邦制」。ただし君主権が弱いイギリス式の立憲君主制。
    • →プロシア、これを拒否。
    • →プロシアはドイツ諸邦に派兵し、プロシアと同様の欽定憲法を強要。また、国民議会からの議員召還を強要。
    • 1849/6/18 フランクフルト国民議会解体。
    • →人民政府によるドイツ統一の可能性が消える。

オーストリア崩壊

(執筆予定)

ドイツ統一への道

  • 1851年、三月革命で無実化していたドイツ連邦が復活。オーストリアが盟主となる。
  • 1862年、プロイセン国王がビスマルクを登用。鉄血政策によって、プロイセンが武力によってドイツを統一する意志を固める。
  • 1863年、ドイツ北方のシュレースヴィヒ公国を巡って、プロイセンとデンマークが対立。プロイセンがオーストリアと共同でデンマークに宣戦。普墺がシュレスヴィヒ戦争に勝利。
    • プロイセンの勢力が急激に高まった為に、普墺の対立が深まる。
  • 1866年、プロイセンとオーストリアの対立が頂点に達し、普墺戦争が勃発。近代化された普軍が旧式の墺軍を凌駕。フランスの調停で講和。
    • 墺に領土問題を抱えるイタリアも参戦。
    • ドイツ連邦の解体。プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦が設立。
  • 1868年、スペイン王位継承を巡ってフランスと対立。普仏戦争勃発。事前に準備を進めていたプロイセンがフランスを圧倒。
    • ビスマルクはエムス電報事件によって世論操作。仏は戦争準備が不十分のまま戦争に突入。
    • 準備不足のフランスが各地で敗退。ナポレオン3世が捕虜になり、帝政フランスが崩壊。

1871年、プロイセン国王がヴェルサイユ宮殿にてドイツ帝国の皇帝として即位。ドイツ帝国の成立。

(以下普仏戦争の結末)

  • 同年、仏臨時政府とドイツの間で和平が成立。
    • フランス東部の領土が割譲。更に莫大な賠償金の支払いを強いられる。
  • 1875年、フランス第三共和国政府が成立。

イタリアでの1848年革命(第一次独立戦争)の詳細

  • 1848/1/12 シチリア革命勃発。両シチリア王国は「立憲君主制」に
    • →シチリア住民はこれに不満で「両シチリア王国(ブルボン家)に対する独立戦争」開始。
  • 1848/3/17 ベネチア革命。
    • →ベネチアがオーストリアから独立を宣言。ベネチアは「民主制・普通選挙」の独立国に。
  • 1848/3/18 ミラノ蜂起。
    • →ロンバルディアがオーストリアから独立を宣言。ロンバルディアは「民主制・普通選挙」の独立国に。
  • 1848/2/23 サルディニアがベネチア・ロンバルディアについてオーストリアに宣戦。
  • トスカーナがベネチア・ロンバルディア・サルディニアについてオーストリアに宣戦。
  • 教皇ピウス9世の決断。
    • 教皇ピウス9世(もちろんイタリア人)は、それまでイタリア統一運動に積極的に関わっていたが、独立戦争に際して、全世界的なカトリックの長としての立場と、イタリアのナショナリズム、との間で板ばさみとなる。
    • 1848/4/29 カトリックの長としての立場を優先することを宣言。
    • → 教皇は、イタリア統一の活動家たちの信頼を失う。この時点で事実上、教皇がイタリア統一の中心となる可能性が消える。これ以降、活動家たちは、教皇をイタリア統一の敵とみなすようになる。
    • 逆に、教皇が現在も全世界のカトリック信者の信仰を集めているのは、この決断のおかげとも言える。
  • 1848/7/25 オーストリアがクストーザ(ヴェローナにある)の戦いで決定的な勝利。
  • 1848/8/5 ミラノ陥落 → ロンバルディアは再びオーストリアに併合される。 いったん戦争終結。
  • 1848/11/15 教皇領で革命勃発。教皇は両シチリア王国に逃亡。教皇領は「民主制・普通選挙」のローマ共和国に。
  • トスカーナでも革命勃発。トスカーナは「民主制」に。
  • 1849/3/12 サルディニアが威信をかけて再びオーストリアに宣戦。
    • →自国領のノヴァーラでオーストリアに大敗。
    • →国王カルロ・アルベルト退位。ヴィットリーオ・エマヌエレ2世即位。
  • 1849/4/25 フランスが教皇に味方してローマ共和国に宣戦。
    • →7月ローマ共和国崩壊。教皇復活。
  • 1849/4月 オーストリアがトスカーナを占領。トスカーナは再び「君主制」に。
  • 1849/5月 両シチリア王国が、スペイン・フランスの援助を得て、シチリア革命を制圧。
  • 1849/8月 最後まで残っていたベネチアが陥落。ベネチアは再びオーストリアに併合される。

結局、すでに立憲君主国になっていたサルディニア以外は、みんな君主制に戻った。

イタリア統一(第二次独立戦争)

ゲーム中では、「フランスとサルディニアの協調」→「イタリア問題」→「統一か死か」→教皇領・両シチリア王国に「権威の失墜」、というイベントの連鎖を経て、サルディニアはフランスと協調して、オーストリア・イタリア諸邦との総力戦に突入する。

  • 1858/7月 フランスとサルディニアの協調
    • フランスは、サルディニアからニース・サヴォイアを得る代わりに、サルディニアのロンバルディア・ベネチア解放を援助することを約束。
  • 1859/4/29 サルディニアがオーストリアに宣戦。
  • ただちにフランスもサルディニアについてオーストリアに宣戦。
  • 1859/6/24 ソルフェリーノ(ヴィッラにある)の戦いで、サルディニア・フランス連合軍が辛うじて勝利。
    • →フランスがロンバルディアを占領。
    • →オーストリア軍は、ヴェローナの要塞に撤退して篭城。
  • この戦争中に、中部イタリア諸国(パルマ・モデナ・トスカーナ・教皇領の東北部)で革命。
    • → サルディニアとの合併を目指す臨時政府が樹立される。
    • → 教皇領はローマ周辺のみに。
  • 1859/7/11 突如フランスが、ベネチアも解放するという約束を破り、オーストリアと単独和平。
    • →仕方なくサルディニアもオーストリアと和平。
    • 和平条件:ロンバルディアをいったんフランスに割譲した後、フランスはサルディニアにロンバルディアを譲渡。(ヴィッラフランカの和約)
  • 1860/1月 フランスとサルディニアが協定。
    • フランスの約束違反により棚上げになっていたサヴォイア・ニースをあらためてフランスに譲渡する代わりに、フランスはサルディニアが中部イタリア諸国と合併するのを容認。
    • → サルディニアが中部イタリア諸国と合併。
  • 1860/5/11 サルディニアにいた革命家ガリバルディが1089人の義勇軍を率いてシチリアに上陸。
  • 1860/5/15 革命軍、カラタフィーミの戦いで、約3千の両シチリア王国軍を撃破。この戦いの最中に、ガリバルディが「統一か死か」と叫んだと言われている。この戦い以後、イタリア各地から義勇兵が続々と駆けつける。
  • 1860/7月 革命軍、シチリア全島を掌握。ただちにメッシーナ海峡を渡ってイタリア本土に上陸。
  • 1860/9/7 革命軍、ナポリ占領。両シチリア王国軍は、ナポリ北方に退避。
  • 1860/10/1 革命軍5万と、両シチリア王国軍5万が、ヴォルトゥルノ川で決戦。ともに多数に死者をだし引き分けに終わる。
    • → 両シチリア王国再興の望みは絶たれる。
    • → 革命軍がローマを占領する可能性が絶たれる。
  • 1860/10/26 ナポリ北方のテアーノで、ガリバルディとサルディニア国王ヴィットリーオ・エマヌエレ2世が会見。ガリバルディはローマ進軍を主張するが、受け入れられず。
  • ガリバルディがカブレラ島(サルディニア島の北の小島)に引きこもる。
    • →革命軍解体
  • サルディニア正規軍が、両シチリア王国軍の残党掃討。
  • 1860/11/21 旧両シチリア王国領での住民投票の結果、旧両シチリア王国領はサルディニアと合併。

もともと、サルディニア王国には、南部イタリア(とくに両シチリア王国)と合併する意思はなかったと思われます。ガリバルディは、サルディニア王国の意思とは全く無関係に、ローマを首都とするイタリア統一に向けて突き進みます。しかし、ヴォルトゥルノ川の戦い・テアーノの会見で、ローマ進軍の可能性が絶たれると、失意のうちにカブレラ島に隠棲することになります。

結局、ローマ周辺と、ベネチアは1860年の統一イタリアには入りませんでした。 その後、1866年の普墺戦争でベネチアが、1870年の普仏戦争でローマが、イタリアに併合されます。 Vicの「権威の失墜」に相当する出来事は見当たりませんが、 あえて言えば、1848年の第一次戦争後にサルディニアが唯一の自由主義・立憲君主国となり、 イタリアの革命家・ナショナリストに、サルディニアとの合併を通じてイタリア統一しよう、 という合意ができたことが大きいかな。他のイタリア諸邦は彼らの信頼を失った。

社会主義の発展

GC以前

  • 16〜17世紀
    • 政府と結びついた特権商人が富を独占。絶対王政を支える。
    • 例:EU2の「商人派遣」
  • 18世紀
    • アダム・スミスの特権商人批判−「自由に競争することが大事だよ!」「労働者には子を育て生活できるだけの給料を払おう」
    • 自由放任主義−「特権や規制なんて全部取っ払え!!」「労働者に対する規制もいらないよ」

1800年代前半

  • イギリスで産業革命発生。
    • →羊毛の生産のため農民が土地を失う。工場労働者など財産を持たない者の増加。
    • フランス、プロイセンなども追いつけ追い越せ。
      • →工業化促進のためプロイセン主導の「ドイツ関税同盟」発足(1833)→「北ドイツ連邦」へ(1867)
  • 資本主義の発達
    • →金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に−「イギリスの中には二つの国がある」
    • 例:労働者の一生 5〜9歳、工場に就職。大人は16時間、子供でも12時間働。15〜20歳、病死(労働者の平均寿命は16才)。
    • 例:『あゝ野麦峠』−「工場づとめは監獄づとめ 金の鎖がないばかり」
    • 例:プレイヤーは関税100%にしたり下層階級の税率を60%とかに設定。
  • マルクスとエンゲルスが資本主義を分析
    • 「資本主義ってやばくね?」「いつか崩壊するよな」「身分や貧富の差がない世界をつくろう!」
    • →『共産党宣言』(1848)−「労働者よ団結せよ!」

注:このころの社会主義では、のちの全体主義的・暴力革命的な主張はブランキら少数派。

1800年代後半〜1900年代

  • 社会主義運動の高まり 労働者が団結してストライキしたり・・・
    • →結果 労働者の待遇の改善(と弾圧)
    • 例:ドイツでビスマルクは社会主義者を弾圧する一方、福祉政策を厚くして労働者の関心を買った。「社会主義者鎮圧法」(1878成立-1890年廃止)
    • 例:プレイヤーは反乱鎮圧のため騎兵部隊を配置する一方、年金制度や最低賃金制度をしぶしぶ導入。
  • でもまだナットクできない人がいた・・・
    • レーニン−「暴力革命で国家を奪取せよ!」
    • →1917年 ロシア革命で社会主義国誕生、その後の権力闘争で一党独裁・全体主義の確立。
  • 1920頃には・・・
    • イギリス労働党、ドイツ社会民主党など政党として政治に参加する一方、(共産主義や無政府主義に通じる)過激な社会主義者が政情不安の一因となった。

歴史FLASH

ここはVicの時代背景や歴史を知らない方でもわかりやすく歴史を学べるFLASHを集めたリンク集です。もちろん歴史に詳しい方も利用していただいて結構ですし、刺激を受けてVicの新しいプレイスタイルやMODの参考にしていただければ幸いです・・・(年代順です)


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Last-modified: 2020-04-01 (水) 18:24:57